月刊エッセイ       8/18/2002


■  げに恐ろしきは猫マフィア




 朝夕は秋の気配がするようになりましたが、日中は相変わらず暑いですね。お盆の頃をボーと過ごしてしまったため、頭がボケて、キーボードに向かうのが面倒くさいという状況です。この欄も「夏ボケのため休載します」にしたかったのですが、そんなふうにしていると、9月も「夏バテ後遺症のため休載します」となり、10月も「お月見のため休載します」となってしまう恐れがあります。人生を振り返ってみると、予備校や習い事など、ずるずる休んで、結局はウヤムヤになってたものが、数多くあるんですよ。
 その昔、新入社員として出版社に入った頃、先輩からこんなことを言われました。
「村岡(私の本名です)、おまえは安物の電気カミソリみたいだな」
「どういう意味です?」
「電気カミソリっていうのはな、毎日使っていると、内刃と外刃が擦れ合って、切れ味が落ちないんだ。だけど、使っていないと、汗とか汚れとかで刃が錆びる。とくに安物は、切れ味が悪くなるのが早いんだ。それと同じで、おまえも少し遊ばせると、とたんに記事のできが悪くなる」
 その時は、さすが先輩、上手いことを言うなあ、と感心したものですが、少したってみると、なにか不愉快になってきました。でも、私の本質を突いた評価であることは確かみたいでして……。

 そんなわけで、夏ボケに負けず、なんとか頑張ってみたいと思います。ただし、こういう状態では、個人情報はいかにして保護されるべきかとか、パレスチナ問題の解決はとか、地球温暖化を食い止める方策はあるのかとか、そういった難しいテーマについて論ずることはできません。何かいいテーマはないものか。考えている私の横を、飼い猫のセナ(当ホームページのプロフィールの写真を参照)が物欲しげな顔で通り過ぎました。そうだ、猫のことを書こう。私は思いたったのです(うーん、わざとらしいな)。

 私は猫好きです。うちには猫が一匹います。しかし、問題なのは、妻が単なる猫好きを大きく超えた猫狂いだということです。
 皆さんは「ねこだすけ」という組織があることを、ご存じでしょうか。捨て猫防止のキャンペーンを行ったり、野良猫に不妊手術を施した上、「地域猫」(その地域の住民全体で飼う猫)にするという運動を繰り広げたりして、なんとNPO 法人の資格まで取得している団体なのです。そして、うちのカミさんは、そこの会員なんですね。

 で、私が今、恐れているのは、留守中に妻が猫を家に引っぱり込むことです。男を引き込むのなら、まだ社会勉強にもなるのでしょうが、捨て猫を家に入れてしまうのでは、何の勉強にもならず、手間と費用がかかるばかりです。餌代やトイレ代の他、健康診断を受けさせたり、ワクチンを注射するため、獣医への支払いもばかになりません。
 しかし、ま、私が健康の時ならば、それもいいでしょう。腹が立つのは5年前のことです。当時、私は大きな出版トラブルを抱え、体調も崩して、青息吐息の態だったのです。そんな時なのに、彼女がかなりクセのある野良猫を家に引き入れたのです。そして先住猫のセナとの折り合いが悪かったため、その猫を葛飾区の親類の家に預けたのですが、預けた翌日に脱走を決行。行方知れずになってしまった。私などは、もともと野良猫だったものが、また野良猫になっただけだから、たいした問題ではないだろうと思ったのですが、妻は、
「知らない場所で、野良やるのは大変」
 とか言い、逃げたあたりにビラを貼ったりして、捜索活動を開始したのです。それが功を奏して、 2週間後、奇跡的に猫は見つかり、今度は脱走できないような家に住む知人宅に預けた。それからは、新しい里親さん(つまりは正式な飼い主)が見つかるまで、世話に通ったり、大変な騒ぎで、その間、体調不良で寝たり起きたりの私は放っておかれたのです。ああ、今、考えても腹が立つ。

 妻は言明します。私と飼い猫とが同時に急病になったら、猫に付き添って病院に行くのだ、と。なぜなら、猫は病状を自分で説明できないからだ、と。
 もし私が救急車で病院に運ばれたら、以下のようになるでしょうね。
「ご家族の方は、どちらですか」
「妻は、あの、セナちゃんのほうに付き添って……」
「そうなんですか、お嬢さんも急病で、そちらの病院に」
 しかし、口をきけないほどの重病になった時は、どうなるのでしょう。猫は助かり、私は死ぬという可能性も出てくるでしょうね。「それも人生さ」と、フランス人みたいに気取ってみるよりありませんが。

 そういった生活を送っていると、小説の中にも猫、そして猫とはライバル関係(?)にある犬が出てくることが多くなります。短編小説では、猫は「猫の恩返し」(おーい、こっちが先にこの題名を使ってるんだぞ。スタジオ・ジブリさん、映画の招待券でも送ってきなさい)、犬のほうは「ジローのいた日々」「メリーに首ったけ」などを書いています。また、ネタ帳を開いてみると、まだ使っていない短編小説向けの猫ネタ、犬ネタがいくつも書いてあります。
 たとえば、「タマをとる」という猫ネタ。ヤクザの親分がタマという名の雄猫を飼っていた。そのタマが2、3日、行方不明になり、タマをとられた(去勢された)哀れな姿になって帰ってきた。野良猫と間違われて、不妊手術を施されたらしい。猫好きの親分は激怒して、
「うちのタマを、こんな目にあわせた野郎は許せねえ。おい、やった奴の命(タマ)をとってこい」
 と、子分に命じる。そういう筋書きなんです。
 つまらない筋書きですねえ。単なるダジャレじゃないですか。何を考えて、こんなストーリーを書いたんだろう。本来はネタ帳の中身は明かさないものなんですが、これは、どう味付けしても小説になるはずもないんで、書いちゃいました。その他に、犬ネタとして、飼い犬に夫の浮気を探らせるというストーリーもあるのですが、こっちも相当にばかばかしくて、書いてしまうと、あいつは本当に馬鹿なんじゃないだろうかと疑われそうなんで、止めておきます。

 一方で長編小説。ここで秘密をばらしてしまいますと、一時期、長編小説の中に猫が登場するシーンを忍び込ませるのを密やかな愉しみにしていたことがありました。二つばかり教えちゃいましょう。

 仲介役の宮池夫妻。見合い相手の彼女には母親が付き添ってきていた。お茶を出しにきた宮池家の嫁がちらりちらりと視線を向けてくる。おまけに、廊下を歩く猫までも、開け放たれた障子から部屋の中の様子を覗いていった。(「窒息地帯」83ページ)
 引き戸のむこうに昔風のガラス・ケースの並ぶ佃煮屋がある。店の前には縁台が置いてあり、大きなトラ猫が寝そべっている。前回、来た時、畠山は「事件が解決したら、家の土産にここの佃煮、買っていこう」と言っていたが、その日がいつになるかはまったく霧の中だ。(「水辺の通り魔」97ページ)

 その他にも、自然でない形で猫が出てくる長編がいくつかあります。子供っぽい愉しみでしたね。こうしたことやるのは、まだまだ修行が足りていないということなんでしょうね。(どうして、こんなところに猫が出てくるんだ?)と、疑問に思われた読者諸氏、ごめんなさい。今は、もう、こういう児戯はしておりませんので。

 それはそうとして、前述した「ねこだすけ」はNPO 法人ですから、いちおうは常識的行動をとっていますが、すごいのは、猫狂いの人たちのネットワークはそれだけではないことです。数人、あるいは十数人の単位で結びついている小集団が無数にあるようなんですね。私の妻も、そういう人たちとの交流がありまして、インターネット等で、よく連絡を取り合っている。
 なにしろ「猫命」という方々ばかりが揃っていますから、良く言えば行動力に富んでいるし、悪く言えば過激になりがちです。野良猫に出会うと、見捨ててはおけず、片端から拾ってきて家中を猫だらけにしてしまう人。出産のシーズンになると、野良の子猫を拾いまくり、里親探しに仕事どころではなくなる人。虐待するため里親を装って猫をもらう人もいるとかで、そういう危険人物に対する情報も回ってくるし、どこそこの自治体は捨て猫に理解がなくけしからんなどという話もよくしているみたいです。そういう人達は不幸な猫たちを前にすると、見て見ぬふりができないのです。
 私の妻にしても、テレビなどで猫や犬の虐待のニュースが流れたりすると、
「犯人は一生、刑務所に入れておくべきだ」
 と言うような人です。その時には、目が据わっています。気持ちはわかるが、ああ、怖い。
 そして、そうした人々を見ていると、私の中に「ある疑念」が湧いてくるのです。それは−−。

 皆さんの中に、最近リストラにあったり、恋人に振られたり、なぜか自転車で転んで怪我をしたりといった不幸に見舞われた人はおられませんか。
 そういう方は、胸に手を当てて考えてください。あなたは、猫が魚屋から苦労して盗み出したサンマを奪い取って、夕飯のおかずにしませんでしたか? 風がよく通る快適な場所で昼寝をしていた猫を追い払って、自分が寛いだりはしませんでしたか? 気持ちよくトイレをしている猫を脅かしたりはしませんでしたか? もし、そうだとしたら、そういう現場を猫狂いの人に見られて、天誅を加えられたのかもしれませんよ。

 そして、わたしの「ある疑念」は、さらに進んでいきます。前述したような「猫マフィア」がいるのなら、当然、犬狂いの人々による「犬マフィア」も、わが日本には存在しているのではないでしょうか。そうした猫マフィアや犬マフィアが密かに暗躍しているとするなら……

 皆さん、犬や猫をいじめるのは、しないようにしましょうね。






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